現在は元気に間引き登校している元不登校児の高校生のここまでの道のりについて語るシリーズの5回目です。
前回は、緊張が強すぎて学校に行けなくなったところまで書きました。
児童精神科に通うことになったわけですが、母がそのまま不登校を容認したのか?って疑問がわきますよね。
当然、そうはいきませんでした。
「普通でいてほしい」の呪縛はそうそう解けませんから。
先生からの登校刺激
ゴールデンウィーク明けから学校に行けなくなったにょん。
当然ながら、そのころの私はまだその事実を心から受け入れられていたわけではありませんでした。
担任の先生から、「途中で帰ってもいいから」とか「途中からでもいいから」とか「放課後だけでも」というお誘いが当たり前にあるわけです。
行かないのがわかっているのに、毎朝「お休みします」と言わなければならなかったり、まったく食べない給食費やPTA会費を払うことも、わざわざそれを払いに学校に行かなくてはならないことも、すべての学校との関わりは私にとっては心の重荷でしかありませんでした。
そして、16:00頃にかかってくる学校からの電話。
もはや恐怖でしたかありません。
そういういろいろなことが積み重なってくると、やはり「普通に」言ってくれたら、楽なのに…と思う気持ちが湧いてきます。
でも、実際の我が子は夜中まで起きていて、昼過ぎに起きてくる生活。
ただ単にナマケモノなだけなのでは?
私がもっと厳しくしないとだめなのかな?
そんな気持ちが湧いてきては、登校を促したりしていました。
その時の担任の先生の受け答えは今一つ記憶にないのですが、過去の日記を読んでみると、とても四角四面な、きちんとした方だったようです。
緊張の強い子にはちょっときつかったのかもしれません。
市の相談機関に行ってきた
カンの鋭いにょんの目を盗んで、市の相談機関に行ってきたこともあります。
今でこそ、繊細な子がいるという事実が広まりつつありますが、あの頃はそんな理由で、ましてや低学年から不登校なんてことはまれ中のまれなこと。
正直言って、娘のことを小さいころからずっと悩み続けていたわけだし、ただ悩んでいたわけではなく、分析好きの検索マニアな私はありとあらゆる可能性を探っていたし、さまざまな子育て論もわかっていて、その上であれも試して、これも試して。
それでも八方ふさがりでどうにもならないから相談に行っているわけです。
でも、相談窓口の方はどうにも頼りない若い方で、口を開けば、一般論。
挙句の果てに、私の育て方や接し方にアドバイスくださいます。
「そんなの全部やってだめだからここにいるんだよーーっ」と今なら怒れますが(笑)、当事者というのはいつもどこかに「自分が間違っているんじゃないか?」という不安を抱えています。
なので強く言えません。
いろいろなところに相談に行くたびに頭に浮かんでくるのは、「あの子のことを誰もわかってくれない」ということだけでした。
親子で全般性不安障害(GAD)
にょんが不安障害では疑惑が出たのもこのころでした。
こちらの記事でもあったように、やっとたどり着いた「全般性不安障害」という名前。
そして、心地よく通える病院。
早速、にょんをつれて病院へ行ってきました。
その病院は、二人を無理に分けることはせず、心理士さんとのカウンセリングこそ別々ですが、診察は一緒でした。
なので、にょんも落ち着いて通えたし、自分がある意味病気である、という事実は彼女自身を安心させる材料になったのでした。
これはよく言われることですが、「学校に行けない」という事実に一番心痛めているのはお子様本人なのです。
特に敏感体質で、となるとはたから見たら、これは仕方ないね、という理由は見当たらないわけです。
本人だって理由がわかりません。
おそらく、自分でも「ただの怠け者なんじゃないか?」とか「根性が足りないだけなんじゃないか?」という疑いを持っているわけです。
なので、「病気なんだ」という事実は、彼女自身の気持ちをほんの少し軽くしてくれるものであって、衝撃を受けることではなかったわけです。